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ストレートティーでは多すぎる。

構成オタクが興味のあることを綴ります。アニメ・弓道・料理・お役立ちなど

シン・ゴジラは辞書やWikipediaのようなものである。【ネタバレ感想・考察】

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 こんにちは。今回はお盆にシン・ゴジラを鑑賞してきましたので、その感想を記述していきたいと思います。

個人的にはそれほど急いで見に行くつもりは無かったのですが、SNSはてブなどでの感想・ネタバレの氾濫を見て、これは早く観に行かないと情報を制御できない!というある種ネットに背中を押されるカタチでの鑑賞となりました。というわけで、この記事もネタバレを含みますのでご注意ください。お盆休みなので、結構な長文です。

~あらすじ~

シン・ゴジラは辞書やWikipediaのようなものである。

庵野監督にはテーマがない?

庵野監督のテーマとは?

~あらすじここまで~

 

 

 

シン・ゴジラは辞書やWikipediaのようなものである。

 シン・ゴジラ自衛隊や戦闘行動を賛美している!とかそうではない!有事のリアルシミュレーションだ!という意見がネットの感想で交わされる中で、『シン・ゴジラは見るものを映す鏡である』という意見を見ました。これは非常に的を射たというか、まさにシン・ゴジラを表している表現だと思ったのですが、私はもう少し捻って『シン・ゴジラは辞書やWikipediaの様なもの』だと認識しました。

 

①過度な感情移入描写が無い

 

 シン・ゴジラは人物の過去について時系列を遡った描写をせず、進展する状況をシンプルに展開する手法を取っています。家族が居て、それをどれほど大事にしているかを平時の日常としてインサートせず、スマホの待ち受け画面に家族の写真を見せることでそのイメージを示唆する。という感じです。

 押井守監督は常々『登場人物の過去を描くことは必要ない。パトレイバーの登場人物なんか、掘り下げても何にも出てこない。伊藤くん(脚本家の伊藤和典氏)が泉野明の過去の話を劇場版で入れたけど、結局生かせずじまいだった。』と言っていましたが、それを髣髴とさせる徹底して抑えられた描写だったと思います。

 

②圧倒的な情報量

 

 全員が早口で展開するドラマ、密度のあるセット、登場人物の肩書や使用される兵器の名称などのテロップ。全てが圧倒的な情報量で、牧博士の残した資料が解明されるシーンは私は半分も何を言っているか理解できませんでした。。。

 ちなみに、宮﨑駿監督も風立ちぬの声優としての庵野監督の起用理由として『頭の良い人は高い声で早口で喋るんですよ。』と言っていたのを思い出しました。頭の良い人は早口。そういうことです。

 

③示唆に富んだ描写

 

 人物の心理描写を敢えてあっさりとしている代わりに、ゴジラの存在というものがなんなのか、という問いをかなり大きな懐を持って受け入れる様になっています。

 ゴジラ(1954)が第二次世界大戦の追体験であり、ゴジラ戦没者、特に兵士として亡くなった英霊が怪獣という形となったものである。かたやシン・ゴジラ東日本大震災での原発事故を表現しており、ゴジラはあの福島第一原発事故のメタファーである。なんていう話もあります。

 それに付随して岡田斗司夫さんはかなり深い考察をしており、シン・ゴジラは牧博士が怪獣となった姿であり、奥さんが原発事故の影響により死亡した事への恨みの姿である。冒頭のボートに残されたゴジラの予想進路は予想などではなく自身がゴジラとなった場合の日本上陸プランの資料である。原発事故で決断できず、奥さんを殺した政府への牧博士の怒り、自身をゴジラと化し同様、それ以上の状況を作り出した上でかつて決断できなかった政府はどうするのか?という問いかけをしたのだ。という話をされていました。

 そう考えるとシン・ゴジラジャミライザナギのような異形となった者の帰還譚とも感じることができ、いやー岡田さんさすがだなー。という気持ちです。

 他にも面白い話を沢山されてましたので、興味のある方はリンクから見てみてください。

youtu.be

 

 これらの登場人物への感情移入を抑制し、圧倒的な情報量で背景を想像させる。これがシン・ゴジラの面白さであり、見るものの経験や知識によって引っかかるポイントが異なり、多面的な受け取り方、楽しみ方が出来る。

 まるで手が空いた時にWikipediaをパラパラと見て興味のある単語を眺める楽しさのような、そんな印象を受けました。

 (もう一点、私が鑑賞した直後に持った印象としては、原田眞人監督の『突入せよ!あさま山荘事件』に似ている、というものでした。正直作りこみとしてはシン・ゴジラの方が圧倒的に完成度が高いのですが、会議シーンの連続、事件の展開に沿った淡々と展開するストーリーなどの点からそんな感覚をもったのです。考えてみればあさま山荘事件は、実際に起こった史実を当時の警備実施担当であった佐々淳行氏が小説として出版したものをベースにしたもので、史実を再構成した映画なのですが、シン・ゴジラは圧倒的なリアリティを持ち得るがためにそれに近い感覚をうけたのかな、と今では考えています。

 余談ですが、佐々淳行氏の本には伊豆大島三原山噴火の際に会議室では

①災害対策本部の名称を大島災害対策本部とするか、三原山噴火対策本部か

元号か西暦か

③臨時閣議招集か持ち回り閣議か、

という事で揉めていたという話がありますので、シン・ゴジラの官邸会議をバカにしている方々には、この会議シーンはものすごいリアリティがあり、大杉漣演じる総理は結構決断している方だ、という悲しい事実を申し上げたいと思います。。。)

 さて、それでは庵野監督はなぜこの様な構成にしたのか。という点を掘り下げていきたいと思います。

 

 

庵野監督にはテーマがない?

 シン・ゴジラ押井守監督のパトレイバー2や、踊る大捜査線との相似がネットでは指摘されていますが、このあたりと庵野監督の作家性は少々複雑です。押井監督はリアリティへの拘りとともに虚構へのある種の憧れを各作品で描いており、そのテーマ、思想・心情描写への画作りの結果がパトレイバー2だと私は思っています。(踊る大捜査線はパト2のオマージュだと本広克行監督が語っていたと思いますので、ここでは割愛します)

 かたや庵野監督は宮﨑駿監督や押井守監督からテーマがない、中身が無いと揶揄されています。(3人の仲の良さを考えるとじゃれあいのような印象を受けますが)

d.hatena.ne.jp

 しかし、シン・ゴジラについてはそのテーマの無さ、もしくはそう見せかける技巧を極地まで高めた結果、あの情報密度と多様性を生み出しているのではないかと思います。ゴジラのようなリメイクには観客が持っている思い入れがあり、監督のテーマ性はある意味不要とも言えます。

 そう考えると庵野監督のテーマ無し、ギミックや設定、画作りへの徹底的なこだわり、それらへの圧倒的なオタク的情熱。エヴァンゲリオンで見え隠れしていた(あるいは隠そうとしていた)庵野監督の本当の作家性がゴジラという入れ物の中で醸成された。と私は感じました。

 ヤシオリ作戦のような大作戦と無人在来線爆弾こそ、庵野監督の本当にやりたかった事だと私は思います。ゴジラに蹂躙され続けた電車が爆弾として復讐を遂げる。絵面のインパクトも完璧。これこそオタクの妄想の結実であり、庵野監督としてはしてやったりなんじゃないでしょうか。

 テーマ性が無いことを指摘されたり、自覚して苦悩し続けるよりは、オリジナル作品の合間にウルトラマン仮面ライダーのリメイクを入れていくくらいのバランスの方が、庵野監督にとっても我々観客にとっても良いような感じがします。後続の作品は無茶苦茶やりにくくなると思いますが。。。

 

 

庵野監督のテーマとは?

 テーマ性が無いのが庵野監督の持ち味となっている。と先述しましたが、最後に私が感じた庵野監督の持っているテーマについて、記述したいと思います。

 エヴァンゲリオン(旧劇場版まで)での庵野監督はある意味生への執着を持たない世捨て人とも言えるコメントを多く残し、事実そのような破滅的ラストをエヴァンゲリオンでは描写していますが、安野モヨコさんとの結婚を気に明らかに生へポジティブになっています。

 私が覚えているのは風立ちぬの製作ドキュメンタリー映画『狂気の王国』

yumetokyoki.com

で、風立ちぬのラストシーンでの菜穂子から二郎への台詞『あなた、生きて』というものが、元来は『あなた、来て』というものだった。という部分です。宮﨑駿監督は最後の最後までこの台詞を悩み、最終的に『あなた、生きて』とした。というのを聞いた庵野監督は『よくなったと思います。来て、だと登場人物みんな死んじゃうじゃないですか』と笑っていました。

 シン・ゴジラが何を意図して製作されたかは今の段階では語られていませんが、庵野監督の根幹に生への肯定感があり、東日本大震災が起こった今だからこそゴジラを作るべきだと思った。というコメントからも、希望ある作品である。ということだけは庵野監督のテーマとして言えるんじゃないかと思います。

シン・ゴジラ、素晴らしい作品です。非常に楽しませていただきました。

それでは。