ストレートティーでは多すぎる。

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好きなことに悩んでいる人は見るべき!SHIROBAKOの感想・考察

 

こんにちは。今回は、アニメ『SHIROBAKO』の最終話を見終えた後の感想を書いていきたいと思います。ネタバレを含みますのでご注意下さい。

 

www.shirobako-anime.com


<あらすじ>

・登場人物の多さによる密度

・人に認められるというカタルシス

・好きなことをやろう。『これが自分だ』と言えるように。

<あらすじここまで>

 

 

 

 

こんにちは。今更ながらですが、SHIROBAKOを全話鑑賞しました。神作品!の呼び声高い同作品ですが、私の感想は『紛うことなき神作品!!』でした。働く人々、好きなことをやれていない、そもそも自分の好きなことがみつからない。そんな悩める人全てに見ていただきたい元気を分け与えてくれるアニメSHIROBAKOの考察をしていきたいと思います。

 

 

登場人物の多さによる密度

 SHIROBAKOの魅力とは何か。まず思いつくのが登場人物の多さです。

キャラクター|TVアニメ「SHIROBAKO」公式サイト

 公式サイトのキャラ紹介でもざっと29人。これに登場していない原作者の野亀先生や夜鷹書房の編集サイドなんかを入れだすとざっと50人くらいはいそうです。これだけの人数を強引さ無く登場させ、ストーリーを回す事自体が非常に難しいと思うのですが、これを可能にしているのがSHIROBAKOがアニメ作品を作るという根本的なゴールがあるからでしょう。

①登場人物の役割

②登場人物の過去・現在・未来

③現在の問題への関わり

 これらの強固な相関関係により、SHIROBAKOのストーリーはより魅力的なものとなります。

 まず、登場人物はそれぞれ職業を持っています。それはアニメを制作する際の職業であり、主人公たちのなりたいと思う職業も含めて、アニメの制作が進行するにつれて関係しなければならない必然のものです。これが①登場人物の役割です。

 登場人物は職業の他にパーソナリティを持っています。ベテランアニメーターの杉江さんなんかがその筆頭ですが、現在は流行りの絵が描けないからと半隠居していながら、過去には一人で難しいカットを含めたアンデスチャッキーのOPを3日で仕上げた『杉江3日伝説』の持ち主。この過去が③現在の問題への関わり、つまり馬を短期間でかける人が居ないため、えくそだすっ!最終話が完成しない。という問題を解決するのです。また第1クールではライター志望の大学生であった今井みどりが、第2クールで一行ではあるものの、脚本家デビューを果たす。というのも③現在の問題への関わりから②登場人物の未来が開けていく、という展開につながります。SHIROBAKOはこの登場人物と問題の展開を非常に丁寧に、しかし熱く組み立てているため、じーんと来てしまうのだと私は思います。

 

■人に認められるというカタルシス

 承認欲求、というのは誰しもが持ちうる根源的な欲求だと思いますが、SHIROBAKOの物語のクライマックスにはこの『人に認められる』もしくは『認め合う』という行為が必ず描かれています。

  このカタルシスは連発すると陳腐化してしまうため、そう何度もだせません。その代わりにカタルシスの肩代わりをしてくれるのが、頭文字Dライクな運転シーン、オマージュたっぷりの小物ギミック、主人公たちの可愛らしさなのです。

 日本に中華料理を広めた大料理人、陳建民は言っています。『私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ』と。陳建民は本場の中華料理を日本に伝えるよりも、日本で馴染みのある味付けにしたり、日本で手に入る食材で料理を作ったりして、アレンジを加えたのです。それこそが『イイうそ』です。現場のピンチは現実には息が詰まる雰囲気と絶望感、そしてそれを解決するのは粛々と打てる手を打っていくことしかありません。それを写実的に描写しても、気が滅入るばかりです。そこをアニメらしく、ライトに緩和してくれるのが『いいウソ』です。法定速度で首都高をドリフトするナベPのボルボにクスリとし、ゴスロリ様の小笠原打法にニヤリとする。そうしているとみんなのひたむきな頑張りが実を結び、クライマックスに大きなカタルシスを迎える。この構成のバランス感覚には、見事というほかありません。

 

好きなことをやろう。『これが自分だ』と言えるように。

  私の好きな海外ドラマ、ミレニアム(セカンドシーズン・第12話『発光』)からの台詞です。ルネサンスの始まりは、一節には登山から始まった。という話があります。南フランスのヴァントゥ山にイタリアの詩人ペトラルカが、初めて登山をした事がルネサンスの始まりである。とされ、それまで登山は越境、山越え、という移動手段の一つでしかなかったものを初めて純然たる趣味でおこなった。つまり、自己発露、文化、または無意味とされたものに『価値を見出す』初めての行為であった。というものです。好きなことをする。という人間の根源的な欲求は、思えばこのルネサンス期から概念として成立したと考えられます。

 SHIROBAKOでは『仕事』・『好きなことをする』・『生きる』というテーマがとても丁寧に向き合って何度も語られます。好きなことを仕事に出来ればそれは幸せなのでしょうが、それが出来る人と出来ない人。それぞれに苦労がある事を、真摯に描いています。この辺りはまたいつか掘り下げたいところですが、日々の生活に追われて元気の無い方は是非一度SHIROBAKOを見て、働く楽しみとは何か。また好きなことをして生きる事こそが人生で大事な事ではないか。自分にとって、好きな事とは何か?ということを考えてみて頂きたいと思います。いつのまにか「万策尽きた!」と叫んだり、「ヘンな話~」と仕事相手に話してみたり、エンジェル体操が頭から離れなくなっていたり。ふと気づくとSHIROBAKOの影響を受けているかもしれません。。。!

 

 さて、いかがでしょうか?現実の世界はこんなに甘くない。物事はグズグズと解決せず、頭を下げて罵倒され、時がすぎるのを待つだけ。そう思う方もいるでしょう。そんな方こそSHIROBAKOを最後まで見ていただきたいと思います。

 そうなのです。SHIROBAKOはウソばかりなのです。この作品はサボっている人が極力居ない。だとか、頑張っている人が全員報われる。とか、だれもお金に困っていなかったり(暗喩では結構語られてますが)、理想的、もっと言ってしまえばファンタジー的な要素が多く含まれています。しかし、SHIROBAKOは夢と希望を与えてくれます。仕事に対して。そして、好きなことに対して。

 好きなことをやることは、とてもしんどくて、大変な事です。疲れたから明日にしよう。今更やってもどうせ駄目だ。忙しくてそんなことやってる暇なんか無いよ。

 そんな時、愚痴る暇が少しでもあるなら、SHIROBAKOを見るべきです。そして、元気と勇気をもらって、好きなことを進めるのです。報われるかどうかは分かりません。私が教えてほしいくらいです。でも好きなことをやることだけが、『これが自分だよ』と胸を張れる事なのだと、私は思います。

それでは。