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ストレートティーでは多すぎる。

構成オタクが興味のあることを綴ります。アニメ・弓道・料理・お役立ちなど

結城友奈は勇者である。の最終話感想

ゆゆゆ 考察 アニメ

こんにちは。今回は、アニメ『結城友奈は勇者である』の最終話を見終えた後の感想を書いていきたいと思います。ネタバレを含みますのでご注意下さい。

yuyuyu.tv

結城友奈は勇者である - Wikipedia

 詳細な説明は上記wikiを御覧ください。

結城友奈は勇者である。は非常に凝った構成と非常に高いレベルの作画で私も毎週非常に楽しみにしていたアニメでしたが、最終話で思い切りずっこけたというか、構成的には破綻してしまい、とても残念な思いをしました。

 もうすぐ私の記憶も消えてしまいそうな気がしますので、覚えている内にあの残念さは何だったのか、という観点で考察を書いておきたいと思います。

 

まどか☆マギカとの相違

 第一話からまどか☆マギカとの類似性は指摘されており、風先輩の変身後のイメージカラーが黄色だったため、死亡フラグまで話題になっていましたがこの2作品は大きく異なる着地点への着地を果たしました。

 具体的にはまどか☆マギカは魔女というシステムにまっすぐ取り組み、あくまでもシステム上の矛盾なく物語を決着させた。というものであるのに対し、結城友奈は勇者である(以下ゆゆゆ)は勇者システムとその副作用である散華、というシステムを物語の根幹に持ってきておきながら、最終回でそのシステムを呆気無く破壊し、ハッピーエンドというある種視聴者へのプレゼントを引っ張ってきたのです。

 ものすごーく乱暴な言い方をすればカイジ遊戯王の初期みたいなものです。

。。。と書いてしまうと怒られそうなので、もう少し説明を追加します。

 

戦姫絶唱シンフォギアとの相違

 ゆゆゆと同じ少女たちが巨大な怪異と戦う物語としてもう一つ挙げられるのがシンフォギアです。シンフォギアには散華、つまり満開による副作用として身体の機能を喪失する現象よりもはるかに残酷であるはずの『絶唱』という、最大の攻撃であり奏者を絶命させるというシステムがあったはずなのですが、最終的にはほぼ形骸化し、絶唱は最後の捨て身の必殺技程度の認識でしか無くなっていました。これは魁!男塾ドラゴンボールをはじめとする、かつての少年ジャンプにあった仮に死んでも復活するジャンプシステムに近い状態です。本来ならば矛盾を突っ込んでしかるべきなのですが、我々は目くじらを立てて物言いを付けること無くその物語の瞬間瞬間の熱量の高さを賞賛すらしていました。

これは物語構成におけるシステムの重要性の差だと思うのですが、シンフォギアは半ば確信的にシステムを軽視し、物語のライブ感を重要視して構成していった結果であり、私を含めた視聴者は作品の根本を楽しめるように、無意識の内に矛盾の許容レベルを変えているのだと私は考えます。(続編シンフォギアGに至ってはライブ感を優先させすぎた結果中身がほぼ無くなってしまいましたが)

ゆゆゆの最終回における友奈の帰還、また勇者たちの散華の副作用全快はまどか☆マギカの様なシステム優先の構成では破綻に映り、シンフォギアの様なシステム無視の構成としては唐突すぎました。

含みをもたせる最終回だったので、私も感想・考察サイトを見て回りましたが、どうもシステム・世界の改変を描かず、奇跡が起こった事をクローズアップし、終幕する事は意図的に行われた事であり、事実のようです。

私はどうにも、良い子が頑張ったのに報われないのはおかしいのでハッピーエンドにしました。思いは全てを超えるのです!と言われてもアンフェアな印象しか抱けません。

(素直に感動できない汚い大人になったのだ、と言われれば否定はしませんが。。。)

 

■ゆゆゆの辿りつけなかった場所ーー仮面ライダー剣の到達点。

 変身ヒーローモノの最終回として私が一つの理想型と考えているものが仮面ライダー剣の最終回です。

 変身は黄泉への旅路であり、現し世(うつしよ)と幽世(かくりよ)の往復が物語だ、と言ったのは大塚英志氏だったかと思いますが、ゆゆゆでは正にバーテックスと戦うために『変身』して結界である異世界(こちらが現実の世界でしたが)と平和な学園生活を送る現し世の往復の物語でした。幽世に長く身を置きすぎた人間は、徐々に幽世の一部となってしまう。つまりは黄泉の住人となるのが変身・異世界モノの定石であり、その終焉は常に幽世からの帰還です。

 しかし仮面ライダー剣の主人公、剣崎一真は最終的にアンデッド・ジョーカーとなり、もう一人のジョーカー、相川 始と人類の平和を守るために自らが人間に戻ることを放棄し、また人間と関わることを捨て、山に消えます。主人公が幽世からの帰還を諦める事で、平和が守られるというある意味で悲劇的な結末ですが、仮面ライダーが本来改造人間として既に『人間ではない存在』である事を考えるとまさにその存在は仮面ライダーの概念そのものといえる、非常に練られた最終回でした。

 私はゆゆゆの最終回についても、この到達点より他に無かったのではないかと今でも思っています。バーテックスを一時的に退けた友奈は、神樹様と交信し勇者部のみんなの散華の後遺症と、勇者システムの適合性を除去し、代わりに勇者としてたった一人で戦い続ける事を選んだ。現し世では廃人のまま、戦い続ける友奈。再度訪れる最強のバーテックス。崖の上で拳を握り締めながら、つぶやく。

「みんな、待っててね。いつか帰るから。ぜったいぜったい、あきらめない!!」

ーー結城友奈は勇者であるーー

という舞台状況に対しフェアでありつつも、『あきらめない』という勇者らしい希望あふれるラストであったならば、文句なく快哉を叫んでいたのですが、やはり最終階まで最終決戦がもつれた事による時間不足は否めません。どんなに絶望的な状況でも希望を持っていれば、それは清々しいラストであり、勇者らしい結末だと私は思うのですが、勇者部の全員を無傷で返さねば!というスタッフの親心が過剰に作用してししまった結果のように感じます。

 

■おわりに

 シリーズ構成の上江州誠氏は、最後まで友奈が生死不明であることを主張していたらしいですし、電撃G's magazineにて掲載されたTVシリーズの後日談を描いた作品『その後の園子』では、友奈一人の犠牲という選択肢を否定する記述もありますので、現場ではかなりの難産だったのでしょう。演出的には友奈が東郷さんの呼びかけによって目覚めるシーンは尺的にも十分で、良いシーンでありました。構成の破綻、という一点を除けば確かに見どころの多い最終回だったと思います。

 そもそも公式サイトによるイラストで、各キャラの散華の副作用が描かれている。という指摘を見た時は心底震えましたし、東郷さんが半身不随で式神が初めから3体いるのは鷲尾須美=2周目キャラである。という構成は感嘆する他ない見事な出来栄えでした。

最終回は満点ではなかったものの、こうして長文を書くほど楽しませて頂いた事には非常に感謝しています。結城友奈は勇者である、は深い考察を可能にする体力を持った良い作品でした。2期シリーズが決定され、多くの謎が明かされることを願ってやみません。

 

それでは。